今月の仏教語

無事

現在は事故や病気、困難な障害がないこと等をこのように言いますが、元来は「なすべきわずらいのないこと」を言ったものです。
初期の仏教教団において、村里に住む出家修行者を「人間の比丘」、森林に住む比丘を「無事の比丘」といったそうで、『中阿含経』という教典にはこの「無事の比丘」の心得がこまごまと書かれているそうです。
大乗仏教へと時代が移り変わると、意味もだんだんと変わってきて、「ものごとにひっかかって迷う心のないこと」という風に変わってきたそうです。『臨済録』という書物には「無事これ貴人なり」と書かれており、これは「常識的な思想や分別に基づいて仏とか悟りとかを求めることをせず、ただ人間本来の姿に徹したそのままの人こそ尊ぶべきである」という意味だそうです。
そして現在では初めに書いたような意味となっているわけで、結局は「本来の姿、元通りである」という意味あいで使われるようになったみたいです。