由緒沿革


開山は京都黒谷紫雲山金戒光明寺第24世三蓮社縁譽上人休岸大和尚。
当寺は、天正19年(1591)に豊臣秀吉の城下町建設の一環である寺町建設の中で現在地に創建され、当時の寺号は大福寺といったが、後に太閤秀吉の命により寶樹山銀山寺と改称された。
その後寛永8年(1631)に本堂・大方丈・庫裡・表門・裏門が中興され、元禄14年(1701)には鐘楼・梵鐘・観音堂が建立された。これらの建物のうち、小方丈は大正初年に修築、また第二次世界大戦で供出された梵鐘は、昭和55年(1980)に再興され、大方丈は昭和61年(1986)に檀信徒の協力によって修築された。
平成5年(1993)には観音堂を宝樹堂と改名し改築し、平成12年(2000)には阪神淡路大震災を何とか切り抜けた本堂を耐震工事により、阪神淡路大震災級の地震にも耐えられるように改修する。
本尊は恵心僧都源信作の木造阿弥陀如来坐像。


開山上人墓